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Deus ex machina
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2024/11/22 (Fri) 08:19
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2010/02/23 (Tue) 10:25
 何処までも白い空間の中に私は居た。
 此処が広いのか、狭いのか。
 天井は高いのか、低いのか。
 よくわからない。
 此処にはただ白に満ちていた。
 私はゆらゆらと歩き出す。
 何処までも、何処までも、何も変わらない景色が続いている。
 360°辺りを見回しても、360°同じ景色が続いてる。
 ぐるぐると、ぐるぐると、私は回り続けた。
 けれど十回位回った所で目が回り、気持ち悪くなってその場にへたり込む。
 疲れた。
 私は大の字に寝転んだ。
 天上を見つめる、なんとなく、此処は屋外ではないんだろうなと思った。
 だって、此処には空がない。
 こちらも相変わらず、何処までも、何処までも、白が続くばかりだ。
 再び立ち上がり、足元を見る。
 影は無い。
 そちらにも白が何処までも、何処までも続いていた。
 浮いているのかな、そんな気がした。
 だって私が歩いていた地面も、天上と変わらない白だったから。
 そしたら身体が軽くなった。
 まるで背に羽根が生えたようなそんな感覚。
 自分の背中を見ると、そこに羽根が見えた――気がした。
 羽根はあまりに白すぎて、景色の白に同化してしまっていたのでよく見えなかった。
 けれど私には、うっすらと見えたそれが羽根であると、はっきりとわかった。
 私は自分の羽根を試してみることにした。
 まずは大きく息を吸って深呼吸、心を落ち着けた。
 そして――羽ばたくイメージ。
 ふわっと、身体が天に向けて加速する。
 柔らかな風を受けて髪がなびいた。
 高度をある程度上げた私は安定飛行に入る。
 今私はどれほどの高さを飛行しているのだろう?
 私は目を閉じると、眼下の景色を創造した。
 目を開ける、そこには街があった。
 いつか私が暮らしていたような気がする街がそこにあった。
 暫く飛んでいると、幼い頃お母さんに連れられてきた公園を見つけ降り立った。
 懐かしい。
 視線を向けた先にブランコがあった。
 そこには幼い頃の私とお母さんが居た。
 今見ているのは過去の記憶?
 それに気づいた瞬間二人は居なくなり、小さくゆれるブランコだけが私の視界に在った。
 私は再び空へ上がった。
 知らぬ間にそこには青空があった。
 白い世界は、もう何処にも無かった。
 私は過去を見るのが厭で、高く、高く、空の果てを目指した。
 先程まで居た公園が小さくなる、街が小さくなる。
 私は雲の上に居た。
 自分が解らなくなった。
 何故私はこんな世界で、過去を回想するの?
 世界は何故私に、過去を見せようとするの?
 私は悲しくなって泣いた。
 けれど私の泣き声は誰にも届かない、誰も慰めてくれない。
 気づくと私には羽根が無かった、だから堕ちていった。
 徐々に、徐々に、加速度が増してゆく。
 地面が近くなる。
 墜落する。
 恐怖に目を閉じる。
 私は消えてなくなる――。
 けれど私は消えなかった。
 目を開けると、私は最初に見た白い世界に居た。
 泣いていた。
 何故、誰も慰めてくれないの?
 何故、誰も助けてくれないの?
 その時、お母さんの声がした。
 その声は、私の目の前にいつの間に現れた階段の上、扉の向こうから聞こえてきた。
 私は「お母さん……」と繰り返しながらよろよろと階段を上ってゆく。
 一段、また一段。
 階段を踏みしめるたびに私にいろんな記憶が流れ込む。
 私が目を背けた自分自身の過去が蘇る。
 その度私は立ち止まり、声を上げて泣いた。
 悲しくて、嬉しくて、悔しくて。
 一段上るたび涙を流し、その記憶を愛でていった。
 そしてたくさんの時間をかけて、私は扉に辿り着いた。
 その時、私はもう泣いてなかった。
 扉に手を掛け、ゆっくりと押し開く。
 
  「あぁ……、お母さん……」
 
 扉の向こうに母は居た。
 私は嬉しくて泣きそうだった。
 けれど階段で泣き尽くしてしまった私に、涙は訪れなかった。
 だから心で泣いた。
 嬉しくて、嬉しくて、私は泣いた。

  「―――――」

 母が私の名前を呼んでいた。
 私は母に駆け寄り抱きついた。
 すると瞬間、涙が溢れた。
 もう涙は枯れてしまったはずなのに、涙は次から次へと溢れてきた。
 母の抱擁は温かくて、とても安心できた。

  「やっと、逢えた……」

 母は私が中学校に上がる頃、病気で亡くなった。
 元々身体の弱い人だったから、入院することも珍しくなかった。
 あの頃の何も知らなかった私は、いつもの事だろうと、死んでしまうことなんて考えもしなかった。
 いつものようにお見舞いに行って、
 私の事は心配ないからね。
 自分の身体ことだけ考えて、早く元気になってね
 なんていう、何度目になるかも解らない言葉を繰り返していた。
 あの時母は不思議なことを言った。
 「中学校の入学式、行けなくてごめんね」なんて私に謝ったのだ。
 あれはまだ小学校の卒業式前の事で「中学の入学式なんてまだまだ先なのに」と私は疑問で仕方なかった。
 そんな話をした翌日の朝、病院から電話が入り母が死んだ事を私に伝えた。
 それで私は気づいた、母は死を悟っていたからあんな事を言ったのだと。
 それから――。
 思考が停止した。

  「ごめんなさい……」

 私は母に謝罪した。

  「―――――」

 母は悲しそうな表情を見せたが、何も言わず私を抱きしめてくれた。
 それが私には辛かった。

  「ごめんなさい……、ごめんなさい……」

 私は何度も謝りつづけた。

  「私……、お母さんが居ないのが耐えられなくて……」

 私は母の死亡を告げる電話の後、自殺したのだ。
 お風呂で湯船に湯を張って、その中に服を着たまま漬かり、手にした剃刀で手首を切った。
 母は、私の死を望みはしなかっただろう。
 きっと、私に生きて欲しかったんだと思う。
 親の死を乗り越えて、悲しみに耐えて。
 
  「ごめんなさい……」

 私はもう何度目になるのかも解らない言葉を口にした。
 母はきっと私を――許してはくれないだろう。
 そんな時、唐突に母は泣きじゃくる私を、扉の外に突き出した。

  「あっ……」

 私は一瞬何が起こったのかもわからず声を上げる。

  「お母さん!!」

 私は必死になって叫ぶが母は助けてはくれない。
 身体が階段に接触する――と思ったが私が上ってきた記憶の階段はもう無かった。
 何も無い、白い空間を私はゆっくりと落下してゆく。
 母はそんな私を見つめながら私に言う。

  「貴方はまだ生きなくてはいけない」

 私を突き放す冷たい言葉。
 けれどそれは私に暖かなものを与えてくれた。

  「生きる事って言うのは、ただそれだけでとても辛いことなの。
   けれど貴方は今まで生きてこれたでしょう?
   だからこれからも頑張ってほしい。
   時々、私の死のように、心振れる瞬間も在るでしょう。
   けれどそこで安易に死を選んでは駄目。
   耐えて、そして生きて。
   生きる事は耐えること――」

  「でも私は――」

 私は言葉を返そうと思ったけれど、声は声にならなかった。
 白に落ちていった私と母との間の距離は遠すぎて、もう声は届かなかった。


  「痛い……」

 私は左手の手首に走る痛みで目を覚ました。
 霞む目で辺りを見渡し、白い部屋に寝かされたいるのだと気づく。

  「あぁ……、あぁ……っ……」

 隣で男の人の声がした。

  「お父さん……?」

 隣にいた男性は父だった。
 父は私の傷ついていない方の手を、大きな両手でぎゅっと握り締めながら泣いていた。

  「どう……したの?」

 私はぼんやりと霞む目で父を見つめながら問うた。

  「お前まで死んでしまうのかと思ったら……、俺は……」

 父は握っていた手に更に力を込め、俯きながら声を上げて泣く。

  「痛いよ……」

 私がそういうと、父は「ごめん」と言って力を緩めた。

  「私も、ごめんなさい……」

 私は父を悲しませてしまった。
 いつも厳しくて、けれど優しかった父。
 私は忘れていた。
 私にはまだ、こうして私のことを思ってくれる家族がいる。
 
  「私……、お母さんに会ったの」

 父は顔を上げて私のを見た。

  「それでね、お母さん……、私はまだ生きなくちゃいけないって……」

 父は私の言葉に大げさに頷きながら言った。

  「生きる事は耐えること、悲しさに耐えられず潰れてしまえばそれはまた悲しみを生む……」

 言葉は少し違うけど、夫婦揃って似たようなことを言うんだなって私は思わず微笑んだ。

  「お父さんは、ずっと耐えてたんだよね」

 父は頷いた。

  「私も……耐えるよ……」

 悲しくても、辛くても。
 私を思ってくれる誰かのために。
 悲しみを与えたくないから。
 悲しいのは私だけではないから。
 耐えていくと、私は決意した。

  「お母さん……、ありがとう……」

 私は一度失敗してしまったけれど、母のお陰で私はやり直すことが出来る。
 きっと次は無い、次はきっと母も助けてはくれないだろう。
 私は母の思いを、そして気づくことが出来た過ちを、繰り返してはいけない。
 生きることはとても辛いことだ。
 けれどそれに耐えてゆけたなら、きっと幸福が訪れる。
 例えば父が私を大切に思ってくれていたこと。
 生きていられたから思い出せた。
 あのまま死んでいたら、私は父の優しさを忘れたままだっただろう。
 この右手に伝わる温もりを、感じずに終わってしまってただろう。
 私をあの時拒絶してくれた母に、私は感謝した。

  「ありがとう……」

 もうこの声は届かないけれど。
 
  「いつか……、きっとまた逢えるよね……」

 私にも"その時"が来たら、きっとあの扉の向こうへ行ける日が来る。
 でも私の"その時"はまだ先だから、今はいけない。
 本当に私に"その時"が来たなら、もう一度私は記憶の階段を上って、扉を開く。
 そしてまた、母に逢えるだろう。 
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