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Deus ex machina
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2010/02/23 (Tue) 10:26
 僕が小学生だった頃、とても不思議な女の子が居た。
 その子は他の誰とも遊ぶことなく、独りっきりで教室に篭って絵を描いて、僕にはその姿が少し怖かったことを覚えている。
 黙々と絵を描きつづけるあの子の姿は、まるで僕とは別の世界に居る人のようで、近寄ることを躊躇わせるような空気を纏っていた。
 今になって思えば、彼女は別の世界の人だなんて事はなくて、ちょっと人と接するのが苦手なだけの女の子だったのかもしれない。
 けれど当時の僕には、彼女の描いている絵が、僕と同じ人間のものとは思えなくて恐ろしかった。
 何故なら、彼女の書き上げる絵はどれも、黒いクレヨンで隙間なく塗りつぶされていたから。

 「亞里沙ちゃん、何を描いているの?」

 ある日、僕は勇気を出してその女の子にそう聞いた。
 けれど彼女は僕の言葉なんて聞こえていないかのように黙々と絵を描き続ける。
 そしてそれが描きあがると次の画用紙を取り出し、次の絵に取り掛かろうとする。
 僕は無視されたことがなんだか悔しくて「教えてくれないなら僕がなんだか当ててみせる!」と対抗するようにして彼女の正面に座り込んだ。

 「……勝手にすれば」
 
 この時、僕は亞里沙ちゃんの声を初めて聞いた。

 「うん、勝手にする、ぜ~ったいに当ててやるからな!」

 僕は彼女の声が聞けた喜びと、突き放された事による苛立ちに煽られながら、彼女の今描いている絵に目を向ける。
 まだ何も描かれていない白い画用紙、彼女が手にする黄緑のクレヨン――

 「あれ? 黒じゃないの?」

 僕は思わず声を上げる。
 けれどそんな僕の声は「……うるさい」と一蹴され、僕は仕方なく黙り込み絵を見ることに集中する。
 彼女はまず黄緑のクレヨンで、画用紙の下側に芝生を描いた。
 そして芝生が出来上がるとそこに緑のクレヨンで植物の茎を描き、その先端に黄色いクレヨンでめしべを描く。
 すると次は赤いクレヨンを取り出し、そのめしべのまわりに花びらを描いた。
 それは他の女の子が描くようなかわいらしい花の絵、黒じゃない普通の絵だった。
 おかしい、なんで普通の絵を描いているんだろう?
 そんな疑問を抱きながら暫く眺めていると、彼女は先ほどとは色違いの花を数本描いた後に、その回りに蝶を舞わせ、空を描く。
 僕にはその絵がとても上手で、綺麗で、先ほどの黒い絵のことなど忘れて感動した。

 「凄い……、亞里沙ちゃんってこんなに絵が上手だったんだね」

 僕は素直に思ったことを口にした。
 クラスの誰よりも上手で、綺麗な絵。
 僕が今まで見た中で一番好きになれた絵。
 なのに――彼女はその絵を黒いクレヨンで塗りつぶした。

 「なんでこんな綺麗な絵をきたなくしちゃうのさ! すごく……、いい絵だったのに……」

 僕は彼女が描いた絵を取り上げ、半分ほど黒く塗りつぶされてしまった絵を見ながら、彼女へ叱咤を飛ばす。
 
 「返して、まだ描き終わってない」

 けれど彼女は、僕の手から絵を取り上げると、再び絵を塗りつぶし始める。

 「上手って何? 綺麗って何? いい絵って何?
  私はそんな言葉が欲しいなんていってない、そんなこと誰にも頼んでない」

 「だから汚すの?」

 僕は問い掛けた。

 「違う……。
  わたしはそうやって他人の言葉で自分の絵を汚されるのが厭なの。
  だから人の目に付く前に、自分の目にだけ焼き付けて、黒く塗りつぶすの」

 「だから汚すの?」

 僕は再度問い掛けた。

 「そう、だから私自身の手で汚すの」

 彼女の言っていることは、僕にはよく理解できなかった。
 他人に絵の感想を言われることを汚されるという理由が理解できない。
 価値なんていうのは自分だけじゃ付けようもないものだから。

 「そんなのわからないよ。
  あれだけいい絵が描けて、誉められて、なんでそれが駄目だって言うのさ?」
 
 「だって上手だとか、綺麗だとかって誰にだってできる事じゃない。
  ただ本物を見てそれをそのまま描くだけで、誰にだって出来てしまうじゃない。
  わたしはそんな風に他の誰かと同じにされるのが厭。
  わたしがどんなに頑張っても、皆はそんな風にいってわたしの絵を馬鹿にするの。
  わたしはわたしなのに、他の誰かへかけるのと同じ言葉でしかわたしを評価してくれない。
  他の誰かと同じだなんて馬鹿にされてるのも同じだもの。
  わたしの努力を汚さないで欲しい。
  でもそれが叶わないと知ったから、わたしは自分だけがその絵を記憶して、他人に触れないようにするの」

 「けど……」

 僕は彼女を否定することを躊躇った。
 彼女の言葉が、正しいことに思えてしまったから。
 上手だとか、綺麗だとか、使い古された言葉で表される色々なもの。
 それらは確かに上手で、それらは確かに綺麗で、それらはどれもが正しい。
 誰一人として間違いなんて口にしてない。
 さっきの僕の言葉だって、嘘なんてついてない、精一杯の表現なんだ。
 他の誰もがきっと、素直な思いで一言、『綺麗だ』って呟くんだ。
 どんな言葉の羅列より、どんなに複雑な理屈より、そのただ一言に全てが込められているんだ。
 それを拒絶するなら、最初から絵なんか描かなければいい。
 自分にとって不利益しかもたらさない絵描きなんてやめてしまえばいい。

 「だったらなんで亞里沙ちゃんは絵を描くの?」

 僕は亞里沙ちゃんに尋ねる。

 「描きたいから描くの。
  それ以上の理由なんて何も無い、ただ描きたいの。
  誰もわたしをわたしとしてみてくれないのなら、わたしはそう思うしかないの。
  わたしはわたしとして見て欲しい、子供だからって馬鹿にされたくない。
  わたしの努力はわたしの物だって証明したいから、絵を描くの」

 僕はそれ以上に亞里沙ちゃんに声を掛けることが出来なかった。
 絵を描いて、誉められる事を拒絶するくせに、誉められる事を望んでる。
 そんな矛盾を抱えた孤独な姿が、なんだかとても悲しくて僕は泣いた。

 「なんで泣くの?
  わたしはあなたを泣かせる事なんて言ってないのに。
  わたしはあなたの質問に答えただけ。
  それなのに、なんで泣くの?」

 「亞里沙ちゃんは気づいてないだけなんだよ……」

 僕は涙を拭いながら言葉を繋ぐ。

 「亞里沙ちゃんは人を信じてない……。
  だから皆がどんな思いで亞里沙ちゃんの絵を誉めてくれてるのか気付いてない。
  自分で考えた言葉の意味だけでその言葉を理解しようとしてる。
  あのね、亞里沙ちゃん。 人は亞里沙ちゃんが思うほど、単純じゃないんだ。
  綺麗だとか上手だとか、そういう言葉だって、亞里沙ちゃんが考えるみたいに皆が適当に言ってるわけじゃない。
  少なくとも僕は、本当に亞里沙ちゃんの絵が本当にいい絵だと思ったから綺麗だって言ったんだ。
  それ以外に思った事を表現する事が出来なかったから、短くはあったけど、綺麗だって言ったんだ。
  なのにそれを馬鹿にしただなんて思われると悲しくて……、だから僕は泣いてるんだ……」

 「……ありがとう」

 目を赤く泣き腫らして告げた言葉に、亞里沙ちゃんは短く一言返した。
 そして僕が取りあげた、僅かに黒く塗りつぶされてしまった絵を見つめて苦笑いを返すと新しい画用紙を目の前に広げる。
 黄緑、緑、黄色、赤、青。
 五本のクレヨンがその白い画用紙の上を走り、塗りつぶされてしまった絵と寸分違わぬ絵を書き上げた。

 「これ、あなたにあげる」

 そういって亞里沙ちゃんは僕に書き上げたばかりの絵を差し出した。

 「そうやって、わたしの絵のことを真剣に考えてくれたの、あなたが初めてだった。
  だからこの絵は汚さない、あなたが綺麗だといってくれたそのままで、あなたにあげる」

 僕は今だ引かぬ涙を腕で拭いながらその絵を受け取った。
 受け取った綺麗なままの亞里沙ちゃんの絵は、やっぱり本当に綺麗で、綺麗で嬉しくて更に涙が溢れた。

 「ありがとう……、大切にするよ……」

 零れ落ちた僕の涙は画用紙の上に落ちると、滲むことなくクレヨンに弾かれ流れていった。
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